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    • 2015.05.10 Sunday
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    熱量

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      いまのコムデギャルソンはもうすぐ無くなるから買え

      という記事が随分と前に回ってきた。
      僕はこの記事にある種の気持ちよさを覚えた。
      彼の話は

      「コムデギャルソンと自分」

      の話をしているのだけど、そこが好きだ。
      おそらく彼の中ではコムデギャルソンは本当に衝撃の出会いであったんだろう。
      もちろん、他のブランドだって良いのは間違いないし、世の中にはクリエイティブに優れ、伝統的であり、全うなもの作りをしているブランドはおそらくあると思うが彼に取ってはココじゃないとダメなんだ。

      この「ここじゃないとダメなんだ」という熱がスゴい。

      自分が未だかつてここまでの熱量を持った記事を書いたことがあるだろうか。
      或いはここまで情熱的に人や物を愛したことがあるだろうかーーと考えてしまう(「世の中にはもっと優れた人がいるから、別に彼女を恋人にする必要は無いと思う…」などと恋人がいる時に言われても「いや、俺にはあの子が一番なんだ」と言って退ける気概はあるし、その意見がどれほどの愚問であるかという事もわきまえている程度には大人だが)。

      件の記事は早い話が

      「巨人の高橋由伸が今年引退するかもしれないから、今のうちに東京ドームでも甲子園でもナゴヤドームでも巨人の試合は見に行っとけよ」

      ってことに近いと僕は思ってるんだけど、書いてる人が野球にファッションに詳しいとか詳しくないとかそういうことじゃ無くて

      「俺」が「ヤバい」と思っている「何か」が「もう無くなりそう」だからとにかく皆一度はチェックしとけって言いたいんだよって話

      以上のことも以下の事もないんだと思う。
      そして恐らく僕だってtheoのデザイナーの一人、パトリックフートがもう少しおじいちゃんになったら似たような話を書くと思う。

      「もうHoetが作り上げる芸術的で見る者、いや掛ける者をハッとさせるような…眼鏡をかける事がコンプレックスであったり、自分の顔を見るのもいやでいやでしょうがない人間の価値観すらも変えてしまう眼鏡がもう手に入らなくなってしまうかもしれないんだ」

      って。その時に「いや、今はマイキータが…アンバレンタインが、世界的に見ると鯖江市の眼鏡が…」って言われてもとにかく衝撃を受けたのはtheoなのだから相手にはしないんだけど。

      真角

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        友達に影響されて下駄を買った。
        下駄には千両、右近、なんちゃらかんちゃら…

        と種類があることも彼に教わった訳だが、話を聞いた限り一番かっこよかったのは

        真角(まっかく)だ。
        なので実際にそれが手に入るところへいったらやっぱり一番かっこよかった。
        この下駄はその名の通り角が四角いままで、さらに言うと形が細い。



        なので鼻緒も自然と細くするのが「粋」とされるらしい。
        もちろん鼻緒は細くした。

        歩いてみた感じだと靴と大分勝手が違うのだが、これはカッコいいです。
        下駄…というとどうしてもこの季節だと浴衣とのセットが常道となると思うんだけど、無論そんなものは持っていないので履き倒したジーンズにポロシャツなぞと合わせようと思っている。

        5964円

        靴について

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          靴について

          今日は革靴について書こうと思います。
          3ヵ月前は全く興味がなかったのですけど、すっかり靴道に入り込んでしまいました。
          僕が革靴って面白いなと思うところは「買った後の手入れの仕方が沢山ある」ということです。
          服もそうかも知れませんが、今回は僕は靴の話がしたいのでそこはスルーします。

          まず一般的な表革の靴は

          ・手入れをしない
          ・手入れをする

          という風に分けられると思いますが後者の中でもさらに

          「無色のクリームが良い」とか「靴と同じ色のを塗る」とか「ちょっと濃いのを塗る」と分かれてきたりしてもっと細かに挙げると千差万別なんですよね。どこのブランドが良いとか話しだすと訳が分からないです。
          クリームだけではなくて手入れの手順なんかも全然違います。正解が無いと言っても良いと思います。

          履きかたも様々です。
          大きいのを履いて靴べらなんか使わないとか、しっかり紐をほどいて靴べらを使って…なんて人も居ます。
          前にも書いた気がしますけど、茶道とかそういうのに近いのではないかな……と思いを馳せることもあり、
          それは「どういう茶室を造るのか(広さは、窓の数は建材はどうするなど)、掛け軸、器…」と

          「靴」という題材に対してどういうアプローチをしていくのか

          と似ているような気がするからです。

          「他にも昔のCHURCH'Sの73ラストがかっこよかった」

          とかドヤ顔で語る様とかも「千利休が陶工に命じて作らせた茶碗が云々…」というのとあまり変わらない気がします。
          そんなこと言ったら「ファッションそのものがそうじゃないか」って思う人がいると思いますが、そうです。
          僕はファッション自体が極めて茶道的だと考えているのでそう思って頂ける方が嬉しいです。

          ただ、靴に関してはそれ自体にそういう要素が含まれているような気がするので、いざ没頭してみると抜け出せないというか。
          それと「一般的な表革の靴」と最初の方で言いましたが、それだって様々です。

          色はもとより革の素材がなんのか、なめし方はなんなのか。

          ここまでくるともう意味が分かりませんね。手に負えなくなってきました。
          ただ、革靴ほど「手入れをする前提」なものってファッションの中でも中々無いような気がします。
          そこでその人がどういうスタンスで、何を買ってどう用いるのかというのを色んな人とお話しできたら楽しいと思います。

          しかし、百貨店とか靴のセレクトショップにいくと5万とか6万とかの靴が売り切れてたりするじゃないですか。
          あれって本当に誰か履いてるんですかね。電車でも中々見たこと無いんですけども。
          それとも電車なんか乗らない人なんですかね。

          ま、そんな感じなので暇なときがあればそういう話したいです。

          「育てる」って何だ

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            よく考えたら私は「味出し」ってした事ない気がします――。

            ということを聞いて「ああ。確かに俺もジーンズくらいしか無いな」って思ったり。
            そもそも味出し(=育てる)ってのは何だろうねって話なんだが、ここでだかtwitterだかで

            「味とは許せる経年劣化のこと」

            という説を唱えたことがあって個人的にはこれはまぁ、合ってるんだろうなと思う。
            最初のお洒落な写真の靴はチャーチのシャノンなのだが、こんな感じでデリケートクリームを塗ると色が落ちる。



            「この色落ちが味かー」なんて思うんだけど、じゃあ毎日これをやってガンガン落とせば早いのかって言ったら違うんだろうな。とか考えたりすると「何がどう許せるのか(許せないのか)」が完全に自己満足なのだろう。

            自己満足――。
            と思うとそれは他人にわかってもらおうとするのは野暮なんだろうね。



            ばっちり合ったシューキーパーを入れて、履くときは靴べらを用いるので不必要な皺が入らないようにしてるんだけど
            こういう用い方の気遣いは早い話が踵の皺も、キーパーを入れれば伸ばせる皺も「許せない経年劣化」だと感じているからなんだろうなと思う。

            シャノンはポリッシュドバインダーカーフという革で出来ていて、この革は一言でいうと

            革の表面に樹脂が塗ってある革

            だったりする。雨水に強い分、傷が入ると戻らなかったり色が抜けにくかったりと「味が出にくい」革だ。
            この靴を好きになった理由は実はここにある。

            「著しく育たないものをそのままキープし続ける」

            というのがかっこいいんじゃないか、変化をほとんどさせないのがかっこいいのではないかと。

            「ジーンズでも財布でもなんでも味出ししたがるのも、なんだかつまんねーよな」

            ってのが本音。
            今はただただキレイにこの靴を履いてみると何か見えてくるんじゃないかって思ってる。

            今月の一着-95-

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              久しぶりに服を買った気が。


              ユニクロとマイケルバスティアンのコラボポロシャツ。
              安かったから買ったんだけど、思ったより似合うので嬉しい。
              デザインとかそういうのは僕より詳しい人に任せるとして

              UTしかりユニクロのこういうコラボして沢山の製品を出してくれるものって
              被る被らないよりも「何を買ったか、きゃっきゃうふふし合う」感じの服なんだなぁってスゴい思う。

              値段も安いから余計にその行為に拍車が掛かるし。

              シェアってやつ?

              マイケルバスティアンが好きとかっていうとそれほどなんだけど、
              いつだかのBRUTUSに出ている彼がかっこよくて
              L.L.beanのモカシンを履いてる自分にはうってつけだなって思ったり。

              もう一着くらい買い足そうと思う。

              似合わなくなっていく

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                以前「用いるのに容易い」という記事を書いたが、結論から言ってしまうと
                今日現在、それらの服に”飽きて”しまった。

                単純に着ることに飽きたということなのだが、何故そうなったのか。

                よくよく考えてみると最初の頃はそうでもなかったが、段々着ている自分がみすぼらしくなってしまったようである。
                カサカサの生地になったヴィンテージチノが特にそうであった。
                もしかすると僕がチノパンを単に嫌いなだけなのかもしれないが。

                今日、白いシャツを洗濯しているときにも似たようなことを思った。
                どうにも「誰にでも似合う」とされる(僕よりも洒落た人間は「最も難しい」と言うようであるが)このシャツに僕は長年苦手意識を持っていて「最初はいい感じなのに」なんていつも思ったりするのだが、ふと洗濯槽にそれを入れるときにどことなく汚さを感じてしまった。
                もちろん、洗濯するものなのだから汚くて当然なのだがこの汚れて疲れ切った服を見て何ともいえない気分になって

                「ああ、このシャツが似合わない理由はコレかもなぁ」

                なんて思ったりした。

                「味とは許せる経年劣化のことである」

                と僕は思っているのだが、白いシャツに関してはことのほかそれが許せないのであろう。

                服や靴が似合うようになっていくことは楽しいのだが、その逆はとても辛いものであるし、着ている自分がみすぼらしくなるというのは自分に自信がない様でとても悲しい。

                文章について

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                  文章が書けるということ

                  環境のせいもあって、数多くの人の文章を目にし、また数多くの文章を送り出しているという事態になっている。
                  blogの更新はピーク時は週に15くらいになったりしたが「もうちょっとお手上げだ…」とならない所から見るにどうやら僕は文章を書くことが好きであるらしいということがわかったりもした。

                  さて、タイトルの話だが「書ける」というのは文字通り書けるということなのだろうか、というところを少し話したい。
                  個人的にはスラスラとblogやノートに自分の考えを書ける状態を「文章を書ける」というのではなく、それを「(狙った)相手に伝わるようにできるかどうか」を分水嶺にしたいと思う。

                  ではそれを構成する具体的な要素は何なのか。
                  ということになるのだが数多くあるであろう要素の中で、ここでは「語彙」を筆頭に推したい。

                  例えばであるが、感じる/考える/思うという言葉は字面は違えどそこに込められた意味はほとんど同じだ。

                  「私は今日は寒くなるなと思った」
                  「私は今日は寒くなるなと感じた」
                  「私は今日は寒くなるなと考えた」

                  といった具合に。
                  この至極単純な言い換えでさえ、それを操ることで僅かばかりであるが文章としての完成度が上がると思う。
                  さらに発展させていくと

                  「私は今日は寒くなるなと暖かな朝の日差しに時折スッと混ざる北風を肌に感じながら考えた」

                  と変わっていったりもする。ここでは「寒くなるな」と思った理由をさらに詳しく書いたわけだ。
                  これは今説明している「語彙」ともう一個「記憶力」が絡み合って出来上がる産物である。

                  この記憶力を意識的に文章に定着させるために「5W1H」という便利なセオリーがあり、さらにそれをどういう形で文章に落とし込むかに「語彙」が関係しているのではないだろうか。

                  では、語彙というのはどこで手に入るのだろうかというと、三島やEMINEMが熟読したされる辞書…もそうだが、単純に本であったり歌であったりするのではと僕は考える。つまり僕が挙げる「文章が書ける人」は「文章に慣れ親しんでいる人」でもあるという話になる。
                  そして偏見である可能性を多分に含むが「文章が書けない」という人の中にこそ良いものを書き上げられる人がいることが多い。

                  この理由は推測ではあるが(偏見の上に推測などと夢の中の夢のような話だ)そういった人ほど「沢山の良い文章を目にしていて、とてもじゃないが自分にはそんなものは書けない」と思っているが故の「書けない」という発言がでるのではないかと考えられる。

                  事実、何度か「書けない」という不安を抱える人と関わったことがあるが、皆一様にスッキリとしたキレのある文章を挙げてきた。

                  さて、この文章であるがどれくらいの動詞が「思う」に置き換えられるのであろうか。

                  今月の一着-94-

                  0
                    久しぶりな気もするけども。

                    「実際の所、どうなの?買ってるの」

                    と言われると靴は沢山手に入れてるしユニクロでも何着か買ってるので、
                    事実上100越えしていたりもするし、最早タイトルの制約は意味をなしてなかったりもする。
                    (※いつだったか今月の一着が100を超えたらblogを止めようと言う話をした気がするが今のところはその気は無い)

                    さて、今回は状況が変わったと言う話をまずはしなければならない。

                    いつだったか「家賃よりは高いものは買わない」と声も高らかに宣言をしたのだが、
                    今回初めてそのルールを破った。
                    状況は変わったのだ…。というのは冗談でまじめな話をすると

                    「身の丈に合わないそれ」を用いきる腕が身に付いてしまったのではないか?

                    という仮説が立ったからである。



                    SHANNON/CHURCH'S
                    8万5千円もする靴なのだが、なぜコレに対してそんな仮説が立ったのかというと、
                    靴に関わる仕事を始めたからだ。
                    そこには僕の収入より高い靴が時には美しく、時にはおもちゃの様に履かれそして運び込まれてくる。
                    それをアレやコレやと触れているうちにいわゆる「ステップアップ」が出来てしまったではないかと。

                    ここでいうステップアップとは靴で言えば最初はリーガルやスコッチグレイン、次はロイドフットウエア、クロケット…

                    と「興味を持ち始めた段階でな出せる範囲の金額で物を買い、そしてそれを適切に手入れすること」であったりする。
                    そこで「この程度の傷はブラッシングで何とかなるんだな」とかそういうことを知っていく…と。

                    そういうことが関わっているうちに自然と身に付いたら当然自分の腕を試してみたいのが人間だ。

                    SHANNONの説明はどこかのサイトに任せるとして
                    僕がこの靴を買った理由はかっこよさの次点としてそれがある。
                    収入の面では明らかに身分不相応なこの靴ではあるが、いつかはそんなことを思わなくなるほどに
                    自分を誇れるようになりたいと切に思う。

                    そして用い手としての腕はとっくに追いついていることを願っている。

                    ひゃーシャノンかっこいいぜ!!別の型の173ラストもかっこいいぜ!

                    あいつもあいつもいなくなって

                    0
                      優れたプレイヤーで居続けること。

                      これが最近のテーマである。
                      その一端が流行に負けるなという記事であるのだけど。

                      わかりやすいと思うのでプロ野球の、特に投手の話をしよう。
                      仮に自分がある球団のエースだとして

                      「今年はなんとオーバースローが流行っています。あの上から投げ下ろすフォームは打者にも威圧感が与えられ非常に素晴らしいです」

                      なんていわれたらどうするだろうか。
                      流行ってるから真似してみよう、流行りだしたからもう止めよう。

                      なんて思うだろうか。
                      おそらく聞く耳を持たないのではないか。
                      エースたる(プロの投手である)所以はそこにあるのではなかろうか。
                      自分のやり方で積み重ねた勝ち星の数があるのだから、考えるまでもなく当たり前の話である。

                      優れたプレイヤーとはそういうものだと思う。
                      もちろん、新しい考え方や球種を試し「合っていたら取り入れる」くらいの触れ幅は持っていて当然だが、それだけの実績を持つ人がいきなり周りのいざこざにいちいち反応はしないのではないか。

                      そういうことを最近は特に考えている。

                      「シティボーイじゃないっすか」

                      なんていわれることが最近多いけど、そりゃそうだ。
                      それより前からシティボーイなんだから。
                      だからこんなことが言えて、あんなことも言える。


                      靴が増えた

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                        タイトルの通り。



                        理由があってとにかく靴が増えた。
                        奥の方左から

                        ・ブラウンスエードギリーシューズ
                        ・ダークブラウンディアスキンウイングチップ
                        ・ブラック牛革ウイングチップ
                        ・バーガンディ牛革ウイングチップ
                        ・ブラウン牛革変形プレーントゥ

                        といった具合だ。
                        とりあえずそれぞれ平等に履いているのだが
                        当たり前だがそれぞれに感覚が違う。

                        ギリーはちょっと幅が広いのでやや踵が抜ける感覚がある。
                        ディアスキンのは一番履きやすい
                        ブラックのは革の質感含めゴムを貼って雨用って感じがする。
                        バーガンディのは一番フィットしている、がまだ皮が硬いので痛い。
                        ブラウンのは唯一マッケイ製法なのだがこれは驚くほどに返りが良い。跳ねてるみたい。

                        といった感じ。
                        そしてそれぞれ、表革の物はデリケートクリームでケアをしている。
                        これで革の育ち具合を見ながら履いていこうと考えている。

                        ここで、思ったのは革靴のケアというのは「用い方」に強くフォーカスされていると思う。
                        スエードの靴はスエードのそれがあって表革の靴も同様だ。

                        特に表革に関して言うならばどのクリーム(色付きor無色など)でケアするのか、
                        どのブラシでケアをするのか、鏡面磨きは施すのか…など、多岐にわたる。

                        あるいはケアをしないという用い方もあるだろう。

                        今、考えていることをこうして身をもって実践できるというのはとても幸せである。
                        しかし雨用の靴がいささか少ないので困っているのも事実だ。

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                        物の形を上手く取り出す天才です。JAZZのポスターが多く掲載されている本書ですが、好きだからこその形を見つけて来ます。表紙は指一本=ソロって発想。

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